無限で平等であることを中心とする仏教思想の中に「四無量心」という言葉の教えがあります。この教えは、慈・悲・喜・捨という4つの心の働きを持つことで無限の愛を手にして自然界の全てのものと平等になるという考えを表していますが、具体的にどのような教えであるのかを知っていて説明できる方はそう多くはないようです。
この4つの心が一体どのようなものなのか、どのように大切なのかを、一つ一つの言葉の意味を読み解いていきながら考えてみましょう。
慈とは慈しむ心の大切さ
慈しむという意味を持つこの言葉は、自分よりも相対的に弱い者を大切にすることで、その相手に対して深い愛情を持って愛おしむ事を意味しています。例えば親が子供に愛情を注ぐ事もこの表現の中に入っています。社会生活においては、自分よりも目下の人に接する時についてこの言葉を使う場合が多く、目上の人や上司にこの表現を使用する事はほとんどありません。
「慈」は、歴史を遡ると、平安時代にうつくしむという風に使われていたものが、いつくへ変わって最終的に現在の形に変化していきました。
サンスクリット語でマイトリーと呼ばれる「慈」は、他の人が幸福な気持ちのまま生活できる事を願う生き方であって、他の人が心から楽しくなるような気持ちになるように努力する行為です。生きている中で苦しい事が起こったりしますが、そのように苦しんでいる人の苦しみの心を取り除いていく好意の行動と言えるでしょう。
悲とは哀れみの心を持つ気持ち
悲しいという意味で使われる「悲」は、サンスクリット語ではカルナーと呼ばれ、同情という意味で使用されています。「悲」は自分が苦しい思いをしていて悲しんでいる心を表しているのではなく、あくまで他の誰かの悲しむ心について一緒に悲しんで、その人が抱えている苦しみを少しでも軽くしたり、取り除いたりするという言葉です。
人は、自分が苦しくて辛いときは他の人が幸せに見えてしまう事がありますが、この場合はむしろその逆で、卑屈になってしまいそうな心を少しでもなくすよう努力する為に他人の苦しむ心に寄り添うことを表しています。悲しみを感じているときは「どうして自分だけがこのような思いをしなければならないのか」ということを考えてしまいがちです。ですが「他人も同じように悩んでいるのだ」ということや「その人の苦しみをなくす為に何かしてあげられる事はないのか」ということを一緒に考え悩むだけでも、誰かを救うことができるのです。
喜とは他の人の幸せを一緒に喜ぶこと
自分に嬉しい事があった場合に思いっきり喜ぶというのはよくあることですね。ですが、他人にとって良いことが起こったときに同じように一緒にはしゃぐことが出来るかというと、どうしても相手に対しての嫉妬の感情などが現れてしまって、すんなりとはしゃげない時の方が多いかもしれません。
しかし、サンスクリット語でムディターと呼ばれる「喜」は、相手に訪れた幸福を自分のことのようにして喜び、共に幸せを分かち合うことを表しています。この言葉の中には、他人の幸福を妬むことなく一緒になって喜ぶというだけではなく、幸福の源となる良い行いをしている人に対して称賛を送ったり、見習って自分も同じような行動をしたりすることも含まれています。
他の人が喜んでいる様子をどこか冷めた感じで、または羨ましいと思いながら見ていると、その人の喜ばしい気持ちもどことなく減ってしまいます。ですが、一緒になって自分のことのように喜んでもらえると、嬉しい気持ちがさらに増幅するということですね。
捨とは偏った心を持たないこと
サンスクリット語でウペクシャーと呼ばれる「捨」は、言葉の意味としてはかなり幅が広いのですが、平静で平等な心であるという意味で使用されています。
この”平静”というのは、たとえば苦しい事があった時にひどく落ち込んで周囲の人と全く話さなくなったり、その逆で楽しい事があったからといって周りに迷惑がかかってしまうぐらいはしゃいだりすることなく、多少の苦楽があったとしても一喜一憂しないで落ち着いた平やかな心の状態のままいるということを表しています。自分の周辺で起こった事柄によって、どうしても気持ちが変化して浮いたり沈んだりしてしまいがちですが、それを抑えて常に平静でいるということです。
また、自分の個人的な好き嫌いによる差別などをなくして、どんな相手に対しても同じように接するというのも「捨」の意味に入っています。一見簡単に感じるかもしれませんが、平静で居るというのは意外と難しいことだと言えるでしょう。
まとめ
ここまで紹介した慈・悲・喜・捨の4つの精神を持つのが「四無量心」という教えです。この中の慈・悲・喜に関しては相手の気持ちに寄り添っていくような教えであるのに対して、捨ではそのような気持ちに左右されない不動を意味しています。また「捨」には他の人が行っている悪行に対して怒らないという意味もあります。
つまり「四無量心」とは「他者を楽しい気持ちにして苦しみを取り除き、善行を称賛しつつも悪行を怒らない」という常に平等な考え方であると言えるでしょう。